あの佐々木小次郎は添田町出身あの佐々木小次郎は添田町出身
「私も歴史が好きなもので、中学校の社会科教師をしながら、 地元の郷土史会に入会していろいろ調べたりしていたんです が、この、小次郎が添田町出身という説はよそから聞こえて きたものなんです。」 平成4年、NHKの関係者が番組制作のための取材として、添田町を訪れ、 郷土史会に協力を求めた。 彼らが制作した番組が翌平成5年1月に放映された「宮本武蔵勝利の秘密 (仕組まれた巌流島)」で、巌流島の戦いは小次郎を消さんがために、お 膳立てされた試合であったという、これまた、驚くべき話が展開するのだ が、それはさておき、この番組の中で「小次郎=添田町出身」説がクロー ズアップされることになった。
一体、どこからこんな説が・・・梶谷さんには言われてみれば、思い当 たることがあった。昭和40年代、地元の岩石城について調べたとき、関 わりの深い武将に佐々木姓があったのだ。もしかしたら・・・。 NHKはさらにもう一度、同じ目的で添田町に取材に来た。今度は平成15 年度の大河ドラマで宮本武蔵を取り上げることになったのだ。 東京からやってきたスタッフは同町に資料の紹介を依頼したが、前回同様、 特に小次郎添田説を裏付けるようなものは持っていなかった。 そのことが、地元に住む者として梶谷さんは恥ずかしかったという。
を追いかけることにした。 まず、小次郎添田説を主張する史家・作家について調べた。 従来、広く知られている福井県越前出身という説、作家吉川英治は山口県岩 国説、など小次郎の出身地はいろいろ言われてきたが、 梶谷さん自身、「小倉の細川家に仕えるにしては福井出身ではあまりに遠い。 つながりが考えにくい」と思った。そこに添田説有力を感じさせるものがあ るのだが・・・。 以来、武蔵と小次郎の一番の資料とされる『二天記』はもちろん、試合のあと、 武蔵をかくまった門司城にかかわる古文書、細川藩に関する古文書など、それ こそ、東に資料があると聞けば東に、西にあると聞けば西に、こうして行橋、 小倉、福岡、秋月などの図書館、資料館に足しげく通ったという。 謎は簡単には解けず、深まるかとさえ思われるが、10年に及ぶ根気強い 調査は実を結び、今年、『彦山・岩石城と佐々木小次郎(上)』を出版した 梶谷さんは、2年後にはその続編である『彦山・岩石城と佐々木小次郎(下)』 をまとめる予定だ。 内容は地元郷土史家として、数々の古文書を分析した上での論述によって、 小次郎添田説に新しいページを加えることになりそうだ。
くるり、くるり。添田町で見つけた「歓遊舎の天狗さん」
2008/07/22(20:32) カテゴリ:history コメント(5) | トラックバック(0)
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この記事に対するコメント
佐々木小次郎って巌流島での話でしか知らなかったので、ホントに添田に居たら、なんか巌流島での決闘が本当にあったんだなーって思います。
でも、よくテレビでの小次郎役っていつもカッコイイ感じの人がやってますよね。どっから、イメージしてるんですかね?
小次郎が添田町出身かもしれないんですか!
そんな話を聞くと少し身近に感じて興味がわきますよね。ロマンですよね。
私も歴史が好きで、本やネットを見るのですが、郷土史はあまり見たことがありませんでした。
今度は郷土史にも目を向けてみたいと思います。
それと郷土史会って何ですか?
少し興味があるので、一度参加してみたいです。
武蔵さんは、映画になって、戦艦の名前になって、
熊本にいて 五輪の書をかいて絵も上手。深くは
知りませんがとりあえず知っています。
でも
小次郎さんは、武蔵との決闘の相手で、長い刀の持ち主、
ぐらいで何も知りませんでした。添田町出身かもしれないんですね。
勉強不足でした。
小次郎さんの刀の名前は何でしょうね?
なぜ小次郎を消そうとしたんですかねぇ?佐々木小次郎って実は、めちゃワルだったのか、または、実力があったのを誰かが嫉んで小次郎はハメられたのか、なぞですね。
今、映画やドラマでの脇役が主役になるスピンオフブームなんで、小次郎ももしかしたら、小次郎目線の映画やドラマが出来るかもしれないですね。
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